家族の絆づくり 85 「個人主義的人生」と「関係主義的人生」 ナビゲーター:阿部 美樹

 

「私」よりも「私たち」

 同じ出来事に直面しても、人によって物差し(判断基準、評価基準)が違うため、捉え方はさまざまです。
 大別すれば、「個人主義」と「関係主義」という二つの物差しがあります。

 「個人主義」とは、人間の基本を「私」「個人」と捉え、「私の願い、夢」「個人の幸せ、喜び」を追求する考え方です。合理的な考え方のようですが、実際は孤独な人生となる「自己中心的な人生観」といえます。

 一方、「関係主義」とは、「私」ではなく「私たち」、「個人」ではなく「関係(相手あっての私)」であると捉え、関係性から育まれる「愛中心的な人生観」です。

 『原理講論』では、二性性相について次のように説明しています。
 「存在しているものは、いかなるものであっても、それ自体の内においてばかりでなく、他の存在との間にも、陽性と陰性の二性性相の相対的関係を結ぶことによって、初めて存在するようになるのである」(『原理講論』p.42)

 このように、存在しているものは全て「単独」で存在しているのではなく、「関係」を結びながら存在しています。

利他主義」より「他我主義」

 二性が二つに分かれていることよりも、二性が「セット」「ペア」で存在していることが重要です。その二性は一つになった時に、機能を最大に発揮できるように創造されました。

 なぜかというと、創造主である「神」が「二つが一つ」になったおかただからです。

 『原理講論』では、次のように説明されています。
 「神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ……」(『原理講論』p.47)

 このような観点から見ると、自分の利益を追求する「利己主義」ではなく、相手のために生きる「利他主義」という生き方が必要です。
 さらには、二つは一つという「他我主義」に至ることが、神が願う生き方なのです。

 文鮮明先生のみ言(教え)です。
 「今までは利他主義を唱えましたが、これからは利他ではありません。他我主義なる思想を唱えなければなりません。他が何かと言えば私です。相手が私ということです」(『天聖経』4.3.3:7、『み言選集』409-282/2003年6月29日)